アプリに代替されないサービスとは

配信日:2011年

先日、2年半使った携帯が寿命を迎えたのでスマートフォンに替えました。ちょっと遅めの買い替えです。

それまでの携帯とは違い、機能のバリエーションが増えていてかつタップなども慣れないので、最初は使いづらいと思いました。まさしくブランド・コンサルがブランドに翻弄されているようで自分でも可笑しくなりました。

会社メールの転送など各種設定もよく分かっておらず、仕方ないので社内業務を中心にしてくれているアシスタントの野村さんにお願いしました。(弊社は2人のアシスタントがいます。)

彼女は普通の携帯を使っているので、スマートフォンには初めて触ったわけですが、私は目を見張りました。専門的な用語をウェブで調べながらどんどん設定をしていくのです。そして完了しました。

「すごいね、本当にはじめて触るわけ?」と聞くと「そうだ」といいます。「昔からロールプレイング・ゲームをやっていたから謎を解くような感覚です。」

実に楽しそうに答えてくれましたが、私にとっては二重の驚きです。確かに彼女たちの世代はゲーム世代で、小さい頃からそういうものに触ってきたことがITの新しいものにも抵抗なく接することができる理由です。ちなみに私(42歳)の世代はマンガ世代でして、例えば少年ジャンプを仲間内で回し読みすることで「情報を共有(?)」した世代です。情けないことに、このアナログ感覚が我々の弱点です。

アナログ感覚の世代なので、最初に購入したアプリも英仏和辞典です(笑)。しかし使ってみて3度目の驚きでした。「これがあれば電子辞書も要らなくなるじゃないか」

スマートフォンをハブにして手頃な価格でアプリが発売されることで、今後、どれほどの業界がいらない存在になってしまうのだろうと思いました。これがジョブズの言う「世界を変える」ということかもしれません。

先日、大阪の相互製あんの松井洋さんとご飯を食べました。彼は日頃、あんこを売っているのですが、面白いことを言っていました。

「最近、金太郎飴が流行っている。金太郎飴なんて古色蒼然としたお菓子だけど、どこで切っても同じ顔が出てくるという技術は一種の芸術とみなされている。」

確かにその通りです。金太郎飴に限らず、例えば絵画にしても100年ほど前は人物画を中心に「人物の肖像を記録しておく」という機能が重要だったのです。それが写真の登場により絵画そのものの記録機能は陳腐化したのですが、その後、時代を経て芸術になりました。同時に当時は非常に安価だった絵画も、現在では高値で取引されるようになりました。

考えてみれば広告も、本来は「モノを売る」という機能性が重要でした(いまもそうですが)。しかしカンヌなどで広告そのものが芸術作品として評価の対象になった状況を見ますと、いまやクリエイティブに高額のコストがかかるものうなずけなくもありません。

アプリの登場によって陳腐化を余儀なくされる業界も、やがて金太郎飴のように見直される時がくるかもしれません。逆に言うならば、画一化や基準化が出来てしまうサービスは今後、アプリによって代替される可能性があります。

市場調査の業界ではここ7年ほどで劇的な業界再編が進みましたが、これもウェブ調査というイノベーションがあって、それまでの画一的なサービスがシステム化されたことが原因です。しかしグループインタビューのような極めて属人的サービスは、いまでも高値で健在です。これなどはアプリ化できない典型だと思います。

なんでもシステム化することが良いとは、私は思いませんが、自分自身の仕事がシステム化できないサービスかどうかは一考の価値ありと思われます。

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