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教えるために学ぶ

配信日:2012年11月7日

昨日、ある成功哲学のセミナーに出ました。テーマは「成功者の行動とはどのようなものか」です。成功者はどのような学習方法をとり、どのような行動規範を持っていて、意思決定の場面ではどのように行動に移すかについてのセミナーです。

実は、参加者ではなく講師として出ました。私が話す立場です。一人3万円のセミナーです。参加した20人ほどのみなさんに成功者マインドについて語りました。最初、なんとおこがましいと我ながら思わないでもなかったのですが、その話は下段に書いた通りです。ブランディング以外のテーマのセミナーで講師を務めるのは初めてでした。ですからいつもよりも念入りに準備しましたし、話の流れについて頭の中でシミュレーションを繰り返しました。そのようにしてセミナーを成功させたイメージを強く持ちました。

今回のセミナーは私が企画したものではなく、あるコーチング会社から依頼されたものでした。この会社は実績のある名のある会社だし、声をかけてくださって私は名誉に思いました。私は二つ返事で引き受けました。面白い。こういう話を前からしてみたかったと純粋に興味を惹かれました。しかし同時に不安になりました。「成功者について僕が講師を務めるなど、本当にいいのだろうか」なにかおこがましいというか、罪悪感にも似た感情。自分の現状とかけ離れたことを話す滑稽さ。そんなものが出てきました。その時、昔読んだ本の一節を思い出しました。

「身分の低い卑しい男が、あえて君主の政治を論じたり、原則に触れたりするのを出過ぎたことと取ってほしくないのです。例えば風景の図を描くものが、山々や岡の特徴を観察するときに、平地におりて身を置き、その逆に、低地の特徴を調べようとして山頂に立ってみる。それと同じで、民衆の性質を熟知するには、君主の身になってみることが必要であり、君主の性質をよく知るためには一人の民衆の身になってみなければなりません」(君主論/マキアヴェッリ著、中公文庫)

自己説得の心理学かもしれません。目の前の状況を合理化するプロセス。ひょっとしてマキアヴェッリも君主論をロレンツォ・デ・メディチに献上する時、同じように感じたのかもしれないなと、ちょっと愉快な気分になりました。そして私の迷いも晴れました。

実際に話してみて、私は大きな充実感を感じました。参加者からの手応えも感じました。やってよかったと思いました。なによりも私自身の勉強になったと思います。「教えるために学ぶ」という言葉があります。私たちのようなコンサルタントはクライアントさんにアウトプットするために強制的に学ばなければなりません。それを示した言葉でもありますが、それ以上に「学ぶ」ということの効果的なプロセスを示したものでもあります。

教えるためには自分が完璧な理解をしていなければなりません。そのためには「教えるのが良い」のです。ここにパラドクスがあります。つまり「教える」という行為を目的にすると学びが加速するのです。ちょうど母親が「本物の母親」になるプロセスに似ています。子育てのことなど何も知らなくても子供が生まれた時点で母親としての自己認識や努力を始めます。その結果、強制的に本物の母親になっていくのです。教師やコンサルタントも同じだと思います。

誰かに教えるというのは、自分に教えることにほかならないとしみじみ感じました。ちょっと自分には難しいかなと思うようなことでも、挑戦してみる価値があります。こういう機会をくださったコーチング会社に感謝です。

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