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SMAP解散に感じたこと

配信日:2016年01月20日

先週から今週にかけてSMAPの解散に日本中が注目しました。初めて「SMAP解散」の文字を駅のキヨスクで見た時、「さすがだなぁ」と思ったものです。もっともその後のゴシップを知ると「なんだ、そういうことか」とあきれましたが。

「さすがだな」と思った理由は簡単です。SMAPほどの国民的グループであっても、各人の年齢はすでに40歳。最近ではもっと若いグループも出てきていて、人気もやや陰ってきた。メンバー各人も既にブランドとして確立されていて、もはやSMAPというグループ名(ブランド・アンブレラ)がなくても十分にやっていける。ここがAKBを卒業するのとはわけが違うポイントです。「どうせ近々辞めるのだ」となれば、人気があるうちに辞めるのがブランドを更に輝かせる方法です。それにSMAPがなくなっても各人は活動を続けるだろうから「また別の一面や輝きが出るのだろうな」と期待もできます。

惜しまれて辞める、しかも人気がまだあるうちに身を引く。「ブランドの辞め時」としてはいまが最高のタイミングでした。このまま落ちぶれてしまう前に、むしろ人気がまだ十分にあるうちに活動を止めてしまうとブランドは「語り継がれる伝説」になれます。いまでも語り継がれるような有名人が、意図的であれ、そうでなかれ(例えば急死とか)、古くからやってきた「辞め方」です。

しかしその後のゴシップによると、事情は私が当初思ったこととは何の関係もなく「あーあ」という感じです・・・。

「独立」についても考えさせられる騒動でした。経営者のやり方に頭にきただろうけど、彼らは本当に独立したいわけではなかった。なりゆきで独立というオプションをとってしまった。そういう独立はどこか他責のように思いました。SMAPの4人に限らず、そんな独立で本当にうまくいくのかというと、かなり怪しいものです。

サラリーマンの独立でもたまにそういうことがある。「会社のやり方に頭にきたから」「友人に誘われたから」が典型で、そんな時は家族から大反対を受けるものです。特に奥さんからでしょう。この奥さんは独立やビジネスのプロではないけれど、そういう独立がとても危険だと直観的に知っているようです。「あなたはそんなひとじゃない」「巻き込まれてはだめ」と正直に教えてくれます。(木村家でもこのような会話があっただろう)

正直に言うと、誰もが独立に向いているわけではない。そもそも独立する人というのは「そういうDNA」を元々持っていて、おそらく若い時から「いつかは独立」と考えていたはずです。SMAPの4人がそんなふうに考えていたとは、ちょっと信じられません。

いづれにしても独立は自責でやるのが大前提で、独立自体も独立後もそれ以外は何もないのです。はっきり言うと「他人の都合」「恩義」は独立の本質論ではないのです。あくまでも本人の問題です。

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