健康とこころの問題

配信日:2011年12月22日

今年最後のメルマガです。
最近はフェイスブックのおかけで日ごろなかなか会うことのない知り合いの近況を知ることが出来ます。

大学の時の友人が次のような書き込みをしていました。
『今朝から具合悪く、右耳が機能せず、さきほど病院行ったら突発性難聴と診断されました。なのでめちゃくちゃへこんでます。疲れとストレスが原因。自分の軟さにびっくりです。とにかく安静第一のようで、忙しい12月だから厳しいけど安静にします』(12月14日)

突発性難聴。そういうことがあるんですね。「突発性だからきっと突然治りますよ」とメッセージを送ったのですが本当のところどうなるやら・・・。

私は、病気というのはこころの問題が大きいのではないかと思っています。

ちょうど去年、私は頚椎ヘルニアで4ヶ月くらい苦しみました。悪いことに、医者は「ヘルニアは一生の病気だからね」などとまさに他人事のように言います。ヘルニアを患ったという人の話を聞いても同じように言います。「私は30年、椎間板ヘルニアと付き合っている。」冗談ではありません。

いくつもの医者を廻り、カイロプラクティックから鍼灸のような代替医療も受けて、とにかく必死で治そうとしました。しかしなかなか良くなるものではありませんでした。

しかし、結論から言いますと私のヘルニアは治りました。いや、厳密には治っていないかもしれませんが、いまでは全く痛みを感じません。

何故、治ったのか?
色々な病院を廻るうちに、私自身、ヘルニアや腰痛など筋骨格系の病気に関する本をたくさん読むようになりました。医者を当てにしていても病気は治りません。これはコンサルティングでも同じですが、本人がやる気になった時に物事は変わります。

そして幾つかの本を読むうちに『腰痛は怒りである(長谷川淳史著/春秋社)』という本に出会いました。ここには痛みとこころの不思議な関係について非常に論理的に書かれていました。そこには目を見張る文章がありました。

『心理的緊張。抑圧された怒りの感情こそが痛みの原因だ。筋骨格系疾患を抱える患者の大部分が心理的緊張によって生じる病態を経験している。(中略)この「緊張」は無意識下で生み出され、ほとんど無意識の外に出ることのない怒りの感情を指す。その多くは不快、苦痛、きまり悪さを伴う感情で、本人にも社会にも抑圧され封印されている感情だ。抑圧が起こるのは、これらの感情を味わいたくない、周りに知られたくないと心がおもうからだ。自覚できるのであれば真正面から向き合おうとするのだが、いかんせん、人間の心は無意識下の感情を自覚するようには出来ていない。しかしそれは怒りとして密かに存在する(中略)。痛みはその怒りへの注意をそらすものだといえる。怒りと向き合うことの心的苦痛があまりにも大きいので、その苦痛への注意をそらす作用として外的な痛みが発生する。その事実に気づかない限り、何者にも邪魔されず、外的な痛みはその目的を果たし続ける。しかしその事実を認識し理解するや、そして怒りの感情に向きあうや否や、ごまかしは通用しなくなり痛みは消える。痛みの存在理由がなくなるからだ。』(本文の要旨を私なりに抜粋して掲載)

私も自分に問いかけました。「お前は何を怒っているのか?」すると普段は気にすることもない些細なことの多くが出てきました。そして更に続けました。「もう僕は怒ってなんかいないよ」と。

やがて頚椎の痛みは本当に取れました。本に書いてあるとおりでした。一種のプラシーボ効果かもしれません。しかし役に立ったことは確かです。大事なのはここです。これでも4ヶ月くらいは痛みが続いたものですが、一生の付き合いになることを考えれば本当にありがたい話です。「この経験も僕に健康管理を見直させるために起きたことなんだな。」

突発性の難聴も案外、同じような心理的原因によって起きているのかもしれません。もしそうなら、例えば「僕は他人の話にちゃんと耳を傾ける」と傾聴を心がけることが治療になる可能性があります。

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