自己開示というのは成長を示す一つのモノサシではないか

配信日:2013年5月13日

人間は誰でもコンプレックスを抱えながら、それを克服しようとしているのではないかと思います。「コンプレックスを抱えている自分」と「克服しようとしている自分」がいるのではないか。

少なくとも、私の中にはこの二人が存在しています。それを私は「岐阜のよしろう」と「代官山のよしろう」と呼んでいます。そう、私は岐阜県出身。岐阜県多治見市。日本で一番暑い街です。日本で一番暑い街だなんて・・・妙な地域ブランディングもあったものですね。

19歳で東京に出て来るまで、私は多治見で過ごしました。多治見は美濃焼きの産地で、私の家も、もともと代々続いた窯元です。INAXの協力工場として、タイルを作って販売していました。父はなかなかの営業マンで、そんな田舎の小さな製陶所で作るタイルを付加価値の高いものとして日本全国に売るアイディアマンでした。

今の私は自分の生い立ちに誇りは持っていますが、19歳の私は東京に出てきたばかりで、まわりの人間が自分とは全く別世界の人のように見えたものです。コンプレックス。田舎者のどうしようもない思いがそこにはありました。

それを克服しようと頑張ってきたのが「代官山のよしろう」です。この「私」は19歳で東京に出てきて以来、ずっと頑張ってきた私です。大学を卒業して、就職し、独立して、そういう「世の中に出る私」を支えているアイデンティティと言えます。

一方、「岐阜のよしろう」はちょっと違います。こちらは田舎で両親や兄弟と過ごしていた頃の私です。地元の友達と過ごした私です。愉快で冗談が好きで、気楽で、抜けている、天然の私です。よく食べてよく寝る。物理と数学はまるでダメ。「岐阜のよしろう」は、高校の頃は勉強なんてしませんでした。高校時代はずっと陸上と美術部。そして親しい友達と過ごすこと。よく友達の家に夕飯を食べに行きました。彼らもよくウチに食べに来ました。たいていはサントリーレッドという、安いウイスキーとコーラを持って。進学校だったのに、受験勉強はしない。そんなに勉強しなくてまずいんじゃないの?というくらい、しないんです。でも平気なのが、こちらの私。

この2人の「よしろう」は、しかし豚バラ肉のように脂身と赤身が交じり合っています。いまではどちらが本当の自分に近いのか、よくわかりません。しかしはっきり言えるのは、「代官山のよしろう」はコンプレックスを持っている。一方、「岐阜のよしろう」は自由だけど、自分の可能性に渇望感を持っています。だからどちらの自分も何か満たされない感情を持っているように思います。

そんな自分を、時には嫌いになったりもしますが、最近の私はむしろ愛せるようになったと思います。「よしろうもまだまだ発展途上。新興国だ」と。

笑ってしまうような話ですが、そういう感情ってないですか?
妙に自分を客観視していて、まるで自分でない自分が自分に語りかけるような瞬間があります。そして、こんなふうにみなさんに自己開示すら出来るようになりました。

いま、私がこうして話しているからというわけではないのですが、自己開示というのは一つの成長を示すモノサシではないかと感じています。自分の奥にあるソフトな部分、牛肉で言うなら、胸腺(リ・ド・ヴォー)のあたり、柔らかくてナイーブなところを人に話せるというのは成長の証かもしれないなぁと、我ながら感じます。

今回はなんだか、取り留めもない文章になってしまいましたが、文章を超えたところで、ご理解頂けることを願っています。

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