人間は「いまが幸せ過ぎる」という理由で不安になることがあります。

配信日:2013年9月2日

ある友人の話。
この友人は幸せなひとで、仕事も私生活も他人から見たら順風満帆。しかしある時こんなことを言っていました。「意味わからないのだけれど、勝手に(自分のことを)嫌われ者なんだと思い込んで、人間関係をリセットしたいと本気で悩むことがある」

私はびっくりしました。どう考えても嫌われ者ではないし、事実、私も、とても親しくしています。大親友のひとりです。なので、そのようなことを正直に伝えたのでした。それによって、とりあえずは収まりました。

一方で、この言葉は私に「更なる質問」をしてきました。人はなぜ、このような気分になることがあるのか。私にも思い当たるフシがありました。

愛情の枯渇感、常にアテンションを求めるからでしょうか?それもあるでしょう。多くの人達は愛情に飢えているし、例えば夫婦関係が上手く行かなくなるのも、それを相手から感じられなくなるから。(相手も自分も口に出して言わないから)

しかし、この友人の場合はそうではないようでした。私も自分のことを思い返しました。告白すると、コンサルティング・プロジェクトが終わる時は、し ばしば、そんな気分になりがちです。それまで精一杯やってきて、クライアントさんも喜んでくれているのに、自分で勝手に「何か不満を残していないだろう か」と不安になり、意味もなく「本当は早く立ち去ってくれと思われている」と、理由もなく妄想が大きくなるのです。笑ってしまうような話ですが、本当で す。これは友人の「自分は嫌われている」という感情と同じ種類のものです。

そんな私をみて、ある時、アシスタントが言ってくれました。「人間は、いまが幸せ過ぎるという理由で不安になることがあります」

ハッとしました。言われるまで気付きませんでした。パトリス・ルコントの映画で「髪結いの亭主」という作品がありますが、見たこと、ありますか?詳 しくは書かないので、是非、見て欲しいと思います。この映画のなかで髪結女房役のマチルドは幸せな結婚生活の絶頂で、嵐の海に身を投げてしまいます。「ど うして?」初めてこの映画をみた時、私はその感情を理解できませんでした。フランス映画にありがちな、複雑な人間感情や人生哲学だと考えていました。

しかし、今では理解できます。マチルドが自分を殺したのは「いつまでもこの幸せは続かない」「今の幸せをいつかきっと失う時が来る」という不安が原因です。そのような時が来たら、自分は死んでしまう。そうならば今、自分からこの幸せを壊してしまおう・・・。

愛情を注がれていればいるほど、それを失う不安にかられる。そして失った時に傷つかないために、予め「自分は嫌われている」という合理化プロセスが勝手に働いてしまうだろうと思います。

これを「認知の歪み」とでも言いましょうか。つまり、将来の不安から、ありもしない現実を妄想して、自分が傷ついた時の緩衝材にする心理。これは誰でも持っている「合理的なネガティビティ」と言っても良いかもしれませんね。

そのような気分になったら、どうしたら良いのか?
最近、私がやっているのは「そのネガティビティをじっと見つめる」ことです。「ああ、いま、認知が歪んできた。うわー、歪んできた、歪んできた。すごい歪 みだ」と見つめると、歪みがなくなります(笑)。なんなら、声に出してみるともっと笑えます。歪んでいるという認識を持つことは歪んでいない状態でなけれ ば難しいのですね。

歪みそのものが妄想だと見抜けるから、そのゲームには乗らないぞ、という余裕のようなものも生まれます。更には、そのような歪みを感じること自体が すべてうまく行っている証拠じゃないかと思うことすら出来ます。そうすると自分をもっと好きになります。自分をいとおしむことが出来るようになります。

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