サービスは見返りを求めますが気遣いは無償の愛に近い。

配信日:2013年12月09日

大阪出張の帰り、随分遅い時間になったので、恵比寿のラーメン屋に入りました。夜に入るのは初めてです。ネパール人のスタッフが2人いました。最近では珍しいことではありません。日本人の旦那さんがいて、2人は日本語で作り方を教わっているようでした。

むかし、日本人も、こうやって外国に出て行って、現地の言葉で学ぶ時代があったのだろうと、しみじみ思いました。

「ドラッカー 日本への言葉(望月護著/祥伝社)」という本があります。このなかでは、なぜドラッカーが明治時代の経営者、特に渋沢栄一、岩崎弥太郎、福沢諭吉を称賛したかが、ドラッカー自身の言葉をもとに紹介されています。

ちょうど帰りの新幹線で、そんな本を読んでいたせいかもしれませんが、日本語でラーメンの作り方を学ぶ2人の外国人をみて、そんな風に思ったのです。

私は1968年生まれです。東京オリンピックがちょうど64年なので、日本が本格的に経済大国になり始めた頃だと思います。

私が生まれる前、日本人は必死に努力してきました。それは祖父母が戦争時代を経て、まったくのゼロから豊かで自由な国家を作ることに情熱を傾け、父や母がその礎を世界ナンバーワンの経済大国に押し上げることに奔走しました。

私たちの世代が、子供に残せることは何か?どのような日本を残せるか?

人によっては「日本文化・その精神性」というかもしれません。これには私も賛成です。外国人と話していると、彼らが日本の文化を非常に高く評価しているのがわかります。

特に日本には「人を思いやる」という文化があります。なにも「おもてなし」に限ったことではありません。「和」という価値観。「公」という視点。「すみません」という世間へのあり方。「中庸」であることの調和。これらは「日本的なるもの」だと思います。

結局は「他人への気遣い」であり、サービス精神とは異質なものだと思います。サービスは見返りを求めますが、気遣いは無償の愛に近いものだと感じています。日本人はごく普通のこととして、それが出来る。そういう気遣いこそが、日本製のクオリティの高さや、技術力の高さなど、細部にやどる日本的なDNAだと思うのです。

もし、日本的なるDNA、精神性を可視化しグローバル社会のなかでユニークネスを際立たせられるとしたら、これは子供たちに残せるものになるかもしれません。西洋的でなく東洋的でなく、日本的なるもののグローバリズム感。

ややもすると中華思想になりかねないとも思います。しかし、そもそも日本人の精神性にそのようなグローバル・スタンダードを目指すという価値観は存在しないように思います。考えてみれば中国も、アメリカも、かつてのローマも、すべては中華思想だったと思うのです。グローバル・スタンダードとしての自文化の輸出。

おそらく、日本人はそのような押し付けの「文化輸出」はしないでしょう。「思いやる」「気遣い」というコンセプトと、根本的に相性が悪いのです。

そして、これは国家のブランディング的にも面白い。そのために私たちは何をしたらよいのか、それを表現するブランド要素は何か、世界にどのようなブランド体験をしてもらうのか?

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