配信日:2014年10月22日
経営では「答えが何かわからないなかで答えを出す(決める)」ことが求められます。これが出来ると「リーダーシップがある」「ビジョナリーな経営者だ」などと言われ、ないと「決断力がない」「腹が据わっていない」などとも言われます。
その経営者がどう言われるかはあまり問題ではないのですが、「答えをださない」という決断も一つの答えです。その場合、環境要因や他社(多くは競合の動向)に自らの意思決定を委ねることになるようです。
つまり翻弄されるわけです。なので「人生を主体的に生きる」ことに通じるテーマでもあります。意識的に自分の望む人生を生きるのか、コントロールの効かない人生を生きるのか。意思決定の問題とは、私にはそういうレベルの話に思えます。
実は答えを出さない生き方のほうが楽なのも理解できます。なにより考える必要がない。「私はわからないのだ。誰か答えを教えてくれ」と悩みますが、本当は「考えるのが面倒」なのです。人間にとってもっとも楽なのは「これまでの生活を続けること」で、何よりも苦痛なのは「変化」に他なりません。変化を拒むのは人間の本源的な欲求ですが、変化こそが世の中の不変の法則でもあります。サーフィンのようなもので、波の動き(変化)を拒否すること自体が無意味で、変化に対応しなければボードから落ちるだけです。
答えを出すとは、「一歩、踏み出す勇気」かもしれません。小学校6年生の娘によく言うことがあります。彼女は中学受験を控える受験生で、いま受験勉強一色の毎日です。そんな彼女によく言うのは「受験など“慣れ”だから過去問を徹底的にやれ」です。塾の勉強や宿題も大事ですが、それ以上に志望校の出題傾向に慣れてしまうことが実質的な合格への近道です。
いざ過去問をやるとなると、どうも足がすくむようです。彼女も頭では理解できます。しかし「もし出来なかったらどうしよう」という不安があります。自分の実力を知る恐怖心、そして出来なかった時に自分は傷つくのではないかという保身意識。
まさしく「いまは答えをださない(過去問に取り組まない)」という答えを出しているようです。そのほうが適当に勉強しているという現実のなかで安心していられるのです。人生でも経営でも、同じことでしょう。現実を知ることで、または現状を変えることで、誰も痛い思いはしたくないのです。
私は「出来ても出来なくてもいいから、早くやってみてどの程度出来ないかを自覚しろ」と言います。そのレベルが分かれば対策も立てやすい。また先ほども書いたように「慣れ」である以上、早くやればやっただけ慣れる時間も稼げるというものです。
「それで同じ年の過去問を3回でも4回でも続けてやってごらん。問題の解き方も答えも覚えてしまうだろう。その時、自分は答えを知っているから正解できたのだと思うかもしれないが、本当はその手の問題の解き方をマスターしたことと同じなのだ。それと同じような問題は本番の試験でも出る。入試とはそういうものだし、そこでは必ず解けるはずだ。だから過去問を繰り返すことが一番効率的な勉強になる」
それで娘がどの程度、楽観的に取り組んでくれることか・・。いずれにせよ、積極的に答えを出すことは、結局、積極的に変化をコントロールする術ではないかと思います。変化にコントロールされるのではなく、変化をコントロールする技術。それが答えを出すということかと思います。