名前が示すもの

配信日:2016年10月19日

今日はささやかな試論を書こうと思います。「成功するためにずっと努力しているが報われない人」がどうしてなのか、どうしたら良いのかについてです。この人は人並み以上に努力をしているとします。なまけているわけではないし、早く現状を変えたいと思っている。しかしなかなか世の中は認めてくれないという状況です。

こんな時に、私のような経営コンサルタントは現状の行動や本人の能力・才能をロジカルに分析するものです。しかし私の経験では経営学やマーケティング的なアプローチでは説明できない要因(例えば気質や生い立ち)が個人の成功には寄与していて、それが信念や行動に影響している場合、なかなか解決策の実施に結びつかないこともあります。確かにそここそが努力のしがいかもしれませんが、結局、無理があるのです。

また過度に運命論的な側面で解決策をいうこともありますが、これもどうかと思います。確かに人生には流れや運気はあります。それを知ることはとても意味があるし、対処することもできますが、人間だれでも運の良い時もあれば悪い時もある。運が悪い時は「これから良くなる前兆」であって、ずっと運が悪いままということはないのです。するといつまでも報われないというのは運以外のなにかが影響していると思うわけです。

先日、メンターからこんな話を聞きました。「努力しているよりも好きでやっている人のほうが成功する。好きでやっているよりも楽しんでやっている人のほうが成功する。楽しんでやっているよりも、それで遊んでいる人のほうが成功する」。どうやら論語の言葉のようです。また最後に「これからのビジネスは正しいから楽しいへ。楽しいから美しいへ」とも言っていました。美学経済学の話ですが、実にメンターらしく、含蓄のある成功哲学です。

そんなことを聞いて、ふと思ったことがあります。努力しても報われない人は才能や努力、運が足らないのではなく「まだ自分の人生を本当には生きていないのではないか」。

「自分の人生」とはメンターが言うように「遊んでいる状態、美しい状態」。つまり「本来の自然体」で在ることです。「在る」というのは存在そのものの状態を示すことで、努力するなど「する(行為)」ではありません。要するに「本来、自分がこの世で志した在り方」が「自分の人生」だと思います。

そして「自分の人生=在り方」のヒントは名前(氏名)にあるのではないか。氏名は使命に通じます。その使命を全うすることがライフワークで、それを全うするには努力以上に「在り方」を心がけることが大事ではないか、と思うのです。

例えば、名前に「豊かさ」「裕福さ」が含まれている人で、いま苦労をしているのは「豊かであれ」というのが解決策になります。苦しいから豊かでいられないと考えるのではなく、「この苦しさこそが豊かさを表現す舞台である」と考えてみる。例えば、自分自身が貧しくても、もっと貧しい人にお金をあげる。その時に「豊かさとは、あげるものを持っていること」だと気づきます。

同時にそれを持っている自分は豊かだとしみじみ思い、そのようなチャンスをくれた苦しさに何とも言えない感謝を覚えるのです。まるでコントラストのようなもので、豊かさを感じるには環境がその真逆であると都合が良いのです。そしてここに気づき、そのような状況にあったことを感謝できた時にはじめて「真逆の環境」は必要でなくなり、名実ともに豊かさが当たり前になる。そこで初めて「名前通りの自分の人生」が始まるのでしょう。結局は「行為を通じて在り方を維持する」のですが、それでよいと思います。自分がどんな環境に直面していようと、豊かである(在り方)ことによって、本当に豊かな自分でいられるのです。名前に含まれる、本来、志した人生を生きることが成功へのアプローチではないでしょうか。。

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