情熱とは何か
配信日:2019年6月26日
ジョギングを習慣にしています。休日も含め、午前中に時間があるとたいていは1時間ほど走ります。週に3回を目処にしていますが体調はすこぶる良く、これでまた元気に働けるわけです。
なによりもジョギングというのは僕にとって一種の迷走、いや瞑想のようです。音楽を聴きながら、唯々、黙々と走る。すると走ることすら忘れてしまいそうです。そして、やがて自分でも思ってもいなかった「言葉」が浮かんできます。たいていは仕事での課題や疑問に対する回答です。そんな時は、すぐにスマホから自分にメールして言葉をパソコンに送ります。実はこのブログもそうして浮かんできた言葉がネタのヒントになっていることが多いのです。
ある時、「情熱とは何か」という疑問への回答がありました。「情熱とは夢に向かって工夫すること。相手がどうしたらもっと驚くか、もっと喜ぶかに頭を使うこと」。これ、僕の勝手な解釈ですが、業績の良い会社を見ていて、合点が行った気がします。逆に業績の良くない会社は情熱が足りない。テクニックや知見はあるのに情熱がないので問題解決が先延ばしになる。行動に結びつかない。そんな傾向があるように思います。
企業だけじゃなく、ひともそうですが、何でも器用にやれてしまうとテクニックで解決するようになります。そしてそれでうまくいくことも多い。しかしそうやって、その場を上手く取り繕うことが出来ると、「火事場の馬鹿力」のような奇跡がなくなります。それどころかしっかり準備することや、考えをまとめて現場に臨むことも少なくなる。すると、そういう「温度感」は顧客に伝わり、やがて彼らは距離を置くようになるわけです。これ、僕にもそんな経験がありますから良くわかります。
ここで気づく企業は再び業績を伸ばし始めます。自ら省みて、「いつまでこんなことをやっているんだ」と自分に鞭を打つ会社です。しかしテクニックに慣れてしまうと、そのような状況をも、「テクニックで解決しようとする」。そしてその小賢しさ(こざかしさ)は顧客に伝わり、結局、誰も相手にしない状況が続くのです。
結局、情熱とは覚悟でもあります。経営でも人生でも、「危機感」と「覚悟」が根底にあるように思います。それを解決しようとがむしゃらに取り組むのが情熱。それは自分を変える動機でもあるし、顧客に伝えたい自分の姿でもあるようです。
情熱は持てと言われて持てるものではないと思います。しかし現状に対する危機感と覚悟があれば、そして本気で変えたいと思うのなら、おのずと情熱は行動に現れるのではないか。そのようにして現れた情熱を、ひとはちゃんと受け取ってくれるのだと信じています。