一流の人ほど頑張るワケ
配信日:2019年10月9日
ある企業の広報誌で字幕翻訳者の戸田奈津子さんのインタビュー記事を読みました。その記事では戸田さんが映画の仕事に関わるようになった経緯、作品(商品)である映画での字幕のあり方や心がけていることなどが述べられていて、なるほどと感心しながら読みました。
そのなかで意外なことが書かれていました。インタビュアーがこう聞きます。いまでは日本を代表する字幕翻訳者の戸田さんに「そしていまでは英語のセリフを聞き取れるようになったと」。すると戸田さんはこう返しています。「いいえ、そんなことないですよ。台本を読むから何を言っているかわかるのです。きちんとした英語を話してくれれば少しはわかるけれど。マフィア同士がしゃべっていることなんて、わかりっこないでしょ」。衝撃でした。少なくとも戸田さんは全部、分かっていて翻訳しているのだと思っていました。しかし、あまりにも正直に「そんなことはない。わからない」という言葉を聞いて、「戸田さんレベルでもそうなら、僕が映画のセリフを聞き取れないのはもっともだ」と激しく思うのでした。
そしてこうも続けています。「一番大変なのはジョーク。ほぼ翻訳不可能です。泣いたり喜んだりという感情は、言葉や人種や宗教が違っても伝わるけど、笑いだけは文化という下敷きが絶対に必要なんです。特にダジャレは言葉遊びだから、カレーは辛えを直訳して、カレーはスパイシーだなんて言っても笑えないでしょう」「語学だけでなく、たくさんのことを知らないと字幕翻訳は出来ない」「映画で取り上げられているテーマも勉強する必要がありますし、いろいろな本を読んだり、自分で書いたりして日本語の勉強もしています」。
戸田さん、僭越ながら、きっと英語や翻訳に対して「まだまだ自分は足りていない」と思っていらっしゃるのかなと感じました。一体、どこまで頑張るのと言いたくなりますが、おそらく一流のひとほど「自分の仕事や能力にコンプレックスを自覚しているのではないか」と思います。それが努力を続ける原動力になっているのではないかな。プロ意識を超えたところにある「プロに満たない自分」を感じてしまうセンス。だから昨日よりも勉強するし研究も続ける。まあ、僕の勝手な推測ですが。
でも思い返してみれば、僕らのようなマーケティングの仕事もこれに通じるように思います。字幕翻訳もマーケティングも「初めて遭遇する会社や製品(作品)」という意味ではよく似ていて、例えば、ミッション・インポッシブルのようなスパイモノの会社や製品もあれば、パイレーツ・オブ・カリビアンのような冒険モノもある。どちらも同じアクション映画だけれど、スパイ文化でのセリフと海賊文化でのセリフは違うわけです。ここはよく似ていて、つまり同じ業界のマーケティング課題でも、A社とB社で違うのは当然なのです。そしてそんな現実に若干、うろたえる自分を見ると「まだまだ僕も発展途上」と忸怩たる思いに駆られます。
おそらく、発展途上だからこそ、こうして勉強しつづけるのでしょうね。インサイトのようにひとの心を洞察するスキルなどは典型だと思います。どこまでいってもキリがない。仮説をもって世の中や新しい世界を眺めること(観察)もそう。これもキリがない。キリのないテーマで且つスタートラインに立って課題を眺めているような気分です。しかしそんな課題をやっていくうちに、一つこなしたら、紙一枚分くらいは上に行けているかな。いまの紙の体積量はどんなもんだろうか。でも考えてみれば、マーケティングだけでなく、これまでの人生もずっとそんなことをやっているような気がします。笑