Brexitとポピュリズム
配信日:2020年2月5日
1月31日に英国はEUから離脱。当日の様子は離脱というよりイギリス独立記念日のようでしたね。BrexitにはEU内のみならず英国内でも依然、賛否はあるようですが英国民の過半数以上は「昔のイギリスらしい生活に戻る」ことを選んだのでしょう。これが今回のEU離脱の正体だと思います。僕らはマクロの視点でグローバリズムとポピュリズム、またはBrexitや最近の保護主義的な潮流を捉えるけれど、要するに「今と違って昔はもっと良かった」という個人や集団の郷愁感がポピュリズムの原点だと思う。いまは世界的にグローバリズムよりポピュリズムのほうが人気(popular)で、あたかもグローバリズムは「そもそも心地よい在り方にそぐわなかった」「今後もそれを強要されるのはまっぴらである」と考えられているようです。
ポピュリズムの台頭にはアジテーター(扇動者)が必ずいるものです。Brexitの場合はイギリス独立党がそう。しかし2016年6月の国民投票でEU離脱が決定するや、党首ナイジェル・ファラージ氏は辞任を表明し、その逃亡ぶりに、僕は吉本新喜劇のようにずっこけそうになったものです。 一方、よく知られるアジテーターはもちろんトランプ氏で、彼は生活者・市民が薄々感じている「言葉にしづらい不」つまり不満・不安・不便・不条理・不都合・不経済を誤解のない明確な言葉で、わかりやすくマスに語りかける能力に長けています。一体、アジテーターがいるからポピュリズムが起こるのか、逆にポピュリズムという集合意識がアジテーターを生むのか。これはニワトリとたまごのようで良くわかりません。
ポピュリズムの文脈では「分断」という言葉もよく使われます。米国(United States of America)も最近ではDivided States of Americaのよう。EUも果たして本心からUnionだと思っているひと(各国の首脳含め)がどれくらいいるか。今後、英国に続き他国が離脱するのも十分に考えられます。2度の大戦を経て欧州を一つにしよう、同時に大国に対抗しうる巨大経済圏としてメリットを得ようという発想は良かったのです。しかし戦争がなければないで、または世代交代が進めば進んだで、戦争のない生活は当たり前になる。一方、経済状況・所得は戦後ずっと横ばいで、「連合」であることのメリットがあまり感じられない。所得が伸びない生活も同じく当たり前になるけれど、依然、目の前にある「不」には違いないわけで、だから分断というのも必然的な流れかもしれないのです。「理念は立派だけれどそれを強要されるとひどく暮らしにくくなる」というのは人間生活ではよくあることです。考えてみれば、企業活動や個人の生活にもそれと同じようなことは多くあるではないか。
国家や企業の経営という点では、今の時代はEUのように「連合・大きいこと・総合力・足並みを揃える・全体志向」という発想が間違っている、つまり機能しないのかもしれないですね。それよりは経営母体が「適正サイズであること、身の丈にあっていること」に価値がある。いや、昔からそうだったと思うけれど、今回のEU離脱を見ていると、あらためてそういうことを重視して日々を生きる時代なのかなと思います。