連帯保証人の判だけは押してはいかんよ
配信日:2020年10月14日
はんこ業界が危機に直面しています。在宅勤務を奨励していた時に月末のはんこが問題で出社しなければならなかった。「はんこさえなければ」・・・。はんこ文化の廃止は政府がそれを進めているのだから、業界を気の毒にも思うし、そもそも性急すぎやしないかとも思います。まるで昔の廃仏毀釈令のようです。明治になったばかりの頃、新政府は新しいイデオロギーに天皇制を担ぎ出したため、神道を国教にしようと考えました(王政復古の大号令)。その結果、神仏習合を否定。仏教の排斥運動が起こり寺や仏像が破壊されることになったと習いました。国宝級の寺院も例外ではなく、興福寺のウェブサイトによると「所領を失い、最終的には堂塔の敷地のみが残されるという惨状となり」とあります。同じようなことが、はんこ業界でも起こるかもしれない。
はんこというのは「本人確認」と「同意・承認」を示す目的があると思います。これからデジタル社会になると、おそらく「本人確認」は生体認証の技術や「同意・承認」は電子署名に代替されると思いますが、サインなりはんこを押す相手が「紙」の場合はどうするのでしょう。紙の書類をわざわざ電子化して電子署名をするなど煩わしいのではないでしょうか。ここが「はんこ文化」の本質だと思います。つまりはんこは「紙文化」がある以上、やはり存続するのではないか。そして紙文化は当分なくならないでしょう。
そういえば社会人になった頃、母親から実印をプレゼントされました。同時に「連帯保証人の判だけは押してはいかんよ」と何度も言われたなぁ。以来、実印に限らず「はんこ」とは「金銭に関する責任を負う意思表示」として僕の中には意識付けられました。会社では別の思い出があります。はじめて新製品を市場導入した時、新製品の発売稟議を持ってマーケティング部長のところに承認印をもらいに行ったことがありました。部長は自分のはんこを逆さまにして押した。そこに「俺はもっとまともな新製品を出したかったのだ」というコメントも頂きました(笑)。
同意・承認を意思表示するうえで、はんこというのは実に手軽で明快な手段だと思います。あまりにも簡単すぎるのでうちの母親も「押してはならない」と何度も繰り返したし、部長も逆さまに押すことで自分の気持ちすら表現した。これがないとしたら、同意・承認、特に「同意」のほうは随分と難しくなるのではないか。「言った、言わない」が横行するのではないか。
さて、歴史を振り返ると神道の国教化は失敗に終わりました。僧侶や仏教徒による仏教復興活動がありました。興福寺も明治14年には復号許可が出されます。国の文化財保護政策や国宝指定もはじまり、明治33年には仏像や建造物の修理が始められたようです(興福寺ウェブサイト)。もし廃仏毀釈とはんこが似ているとすれば、はんこもやがて復活するのではないでしょうか。