大阪都構想のこと
配信日:2020年11月04日
大阪都構想はまたしても否決されました。都構想の真の狙いは社会の高齢化や人口減少に対して「効率的で持続可能な自治制度」を作ることだと思います。「二重行政の解消」はそのための手段に過ぎないと思いますが、住民投票ではそれが目的化し、本来の目的を見誤ったのではないかと考えています。
大阪に限らず、今後、地域行政は高齢化(医療・福祉)と人口減少(市場縮小と働き手が少なくなる前提での経済政策)に向き合わなければならない。そのために都構想では医療・福祉など地域密着の行政サービスは特別区が受け持ち、大阪府全体の経済政策・成長戦略は府が引き受けるというフォーメーションで臨もうとしました。少なくとも「市と府が良好な関係で連携して」というような牧歌的で属人的なアプローチよりはずっとマシだと思う。とてもわかりやすい解決策だと思っていただけに、否決という結果は残念です。そして否決になったことで、解決策は白紙に戻ることになりました。大阪都構想が現在のカタチになるまで10年かかったわけですが、それをまた最初から描かなければならない。高齢化と人口減のスピードを考えた時、そんな時間は許されるだろうか。
反対票を投じた人たちは結局、何がイヤだったのかと考えています。財政的な問題といった論理的な理由か、大阪市廃止への郷愁感のような情緒的なものか。その両方か。しかし大阪市民でない僕の目からみると「情報が錯綜し過ぎてよく分からないから反対した(現状維持を決めた)」というのが正直な感想です。よくわからない契約書を前に「判を押すかどうか」と突き付けられたような感覚でしょうか。SNSやニュースで毎日のように大阪都構想の真実とウソを言われ続け、何を信じて良いか分からなくなったと思います。そんな時、たいていは答えを保留にして選択肢を残そうとするものです。
そもそも現体制で既得権を持っているひとたちは反対する。政党・政治家や一般市民も含め、何らかの既得権を持つ人はルールやシステムを未来永劫、変えたがらないものです。仮に、問題を見抜いていても「いまは答えを出さない(損するから)」と先送りする。「市の財源が府に取られる」はそこを突いた論理だし、些末なところでは敬老パスがそう。なんでそんなに敬老パスが大事なのか、そんなことで反対するのかと思いますが、これも立派な反対理由なのです。
一方、既得権など何もないひとであっても反対する。そこには「変化への不安」があるからだと思います。もともと人間は変化がキライなのです。できれば今のままで暮らしたい。もし賛成したら、よく分からない新システムに自分の生活が振り回されるのではないか。変化自体が人間にとっては厄介で不安なものなのです。しかし社会はそんなことお構いなしに変化を迫ります。高齢化社会や人口減少社会は否応なしにやってくる。そんな分かり切った変化なのに、僕たちは備えることが苦手です。あらためて、解決策はいまから準備し対応を始めるしかないと思うのです。