相手の本性がわかってしまえば怖くなくなる。
配信日:2021年1月6日
コロナ第3波の拡大によって「恐怖心」というウィルスも拡大しています。健康、生活、家族、仕事、お金、それら人生の大事なことに関する「将来への不安」と言っても良いでしょう。このウィルスはこころの中でどんどん拡大し、更には家族や社会にも広がるようです。いけない、いけない。しかし、わかっていても感じてしまうものは仕方がない。だから自分にできることを粛々とやることにしています。例えば、いまさらですが、マスクをつけるというのは「自分がうつらないため」と同時に「他人にうつさないため」でもあります。みんなが「他人にうつさないため」を意識すれば、結局は回りまわって「自分も安全でいられる」となります。利他を考えると、最終的には自分に返ってくる。すると、それほど恐怖を感じなくてもよくなる。
年末にフランスで2500人の違法パーティがあったとニュースで聞きました。この期に及んで、どうしたことなのだろう。政府への反発なのか。その時、恐怖心はなかったのか。しかも止めに来た警官に危害を加えたという。単なる憂さ晴らしなのか。フランスが自由を何より大事にする国というのは知っていますが、これも「自由」の主張なのだろうか。しかしそれによって感染が拡大し、社会が混乱するのは明らかで、利他(フランス人のいう友愛)の視点はどこにいったのか?彼らのいう自由とはエゴイズム(利己主義)のことだろうか。
年末、結構な数の政治家が「会食」でバッシングされていましたね。「会食は控えろ」といいながら自分たちでそれを破るという、なんとも寒い状況でした。宴会をすることに恐怖心はなかったのかな。感染だけでなく、バッシングされることも含めて。彼等もまた利他の視点が欠落していたと思います。仕事や立場を考えて利己的な行動をしたのでしょう。それにしても多かった。おそらくこんなに次から次へと宴会があからさまになったのは、自粛警察のような内部告発かもしれない。偉い人たちがそういう様々を想像しかなったことも不思議です。確証バイアスでしょうか。自分だけは大丈夫という「根拠のない楽観主義」。恐怖心の反対の概念ですが、これはこれで困ったものです。
当然ですが、僕も恐れを感じることはあります。コロナのことではなく、例えば、新しい案件に取り組む時などです。「こんな難しそうな案件、出来るだろうか」そんな時に必ずこころがけることがあります。「何が原因でこの感情を抱いているのだろうか」と本質をじっと見つめます。すると恐怖心は小さくなり、やがてスーッと消えていきます。不思議なのですがそうなのです。恐怖心の本質は「よくわからないこと」で、相手の本性がわかってしまえば怖くなくなります。そして前向きなアイデアが湧き出るようになります。