京王線の無差別襲撃事件
配信日:2021年11月10日
8月に起きた小田急線の刺傷事件といい、最近、このような「拡大自殺」ともいえる惨事が続いています。2019年には川崎でスクールバスを待つ児童を襲う事件もありました。どの事件も根底にあるのは「収入不安定」「仲間がいない」「社会が悪い」。最近では「ガチャ」という言葉も、以前より頻繁に聞くようになったと思います。「親ガチャ」「妻ガチャ」「上司ガチャ」。自分の努力では選ぶことができない状況・環境下に放り込まれ生きていくことを強いられるワードです。ただここには「妻ガチャ」のように、本来は自分のせいだけど他責にしたい気持ちもあるのでしょうね。確かに絶望的な状況に置かれると、人間は生きる希望を失い、ましてやその原因が社会にあると考えると、怒りの感情と共に無関係の人間を巻き込んで自殺する「拡大自殺」を考えるのかもしれない。
目標がないと人間は死んでしまう。ゲームのリセットボタンを押したくなる。ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を持ち出すまでもありません。ナチス強制収容所の話です。絶望的な環境下で人は自ら死を選ぶ。どんな環境でも希望や目標を失ってはいけない。そもそも人間とは理想や目的志向の生き物だと思います。正常な生活が出来ている時はその時々の目標からモノを考えるものです。どんな人であれ理想や目標を持つことは不可欠なのでしょう。しかし事件を起こした犯人たちにはそれがなかったのではないかと思います。強制収容所にいると目標を持つことが出来ないように、同じくらい今の社会や自分に絶望していたのかもしれません。これが原因だと思います。
このような事件を食い止めるにはどうしたらよいか。外国の空港や駅で見られるようなテロ対策など直前で阻止するアイデアはありますが、小田急線や京王線の事件を見ると現実的な解決にはなりそうもない。それよりは身近な誰かの絶望を取り除く、または寄り添うことのほうが未然に防ぐ解決策になると思う。僕たち一人一人が身近な誰かを想い、気にかける行為が大事だと思います。理解してくれる誰か、親身に話を聞いてくれる誰かがいたら、こんな惨劇もなかったのではないか。