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問題解決のジレンマ

配信日:2011年

内閣不信任案の否決はちょっとしたドラマを見ているようでした。「人が生きるか死ぬかをやっているこの時期につまらない話をして。選挙などしている場合か!」という世間の声と「菅内閣を総辞職させたい」という政治家の中間でサイコロが転がっているような状態で、しかも、どちらの目が出るかは政治家の意向に拠っているというわけです。

結果は否決になって良かったのですが、その原因でもある鳩菅の覚書に胸をザワつかせた方も多いと思います。最初の文言が「民主党を壊さないこと」。彼らの優先順位がどこにあるかを象徴的に示しています。

国民の民意としては民主党が壊れるかどうかはあまり大事ではなくて、むしろ「自分にしか興味のない民主党なら壊してしまえ」と思った人も多いのではないかと感じています。

そもそも野党を含めて政治家の付加価値とは何かを考えさせられます。政治家という職業のレゾンデートル(存在意義)は何か?

自民党にしても、菅内閣を倒したいというのは野党としてまっとうな欲求だと理解できますが、「そんなことを今やってどうなわけ?」と考えてしまう。自民党にしたら時期が悪い。谷垣さんの戦略性を疑います。なによりそれまでの政治的変遷を知っていれば自民党の言う事など笑止千万に他ならないし、鳩山さんだって菅内閣のことを悪く言うのは、やはり笑止だと思います。自分たちはどうだったのか?あの人達は記憶喪失なのか?(自民党、民主党の熱烈な支持者の方には申し訳有りません。)

原発問題などは具体的に「今、起こっている事態への対処」が問題なのでまだ分かりやすいのですが、政治の問題は「本当に誰かが解決できる問題なのかよく分からない」「そもそも何が起きているのかよく分からない」という曖昧とした部分があることが分かりにくくしているように感じます。

私が第三者の視点から、またコンサルタントの視点から思うことは「彼ら自身には問題を解決できない」ということ。それにもかかわらず「彼ら自身に問題解決をさせようとしている」ことが問題です。

なぜなら問題を解決することで自分たちの立場や利益が脅かされるのです。「自己否定」が求められているのに、それをしない(できない)のは自分が大事だからです。これを私は「問題解決のジレンマ」と呼んでいます。

このジレンマは政府に限らず企業でも個人でも見られる一般的な法則です。「改革は痛みを伴う」とその昔、小泉政権はよく言っていましたが、それは真実です。その痛みが激痛なので改革が進まない。企業のなかでも頻繁に見られる現象ですし、スピードが遅くなる原因の一つです。

ちなみに小泉さんの言う「改革は痛みを伴う」というのは、まさしく国民が聞きたかった一言だったと思います。しかしながら小泉さんにしたら、それは郵政民営化に関してのことで、厳密には「郵政改革には郵政の連中の痛みが必要だ(僕は別に痛くない)」という意味だったと思います。

私が郵政について思うのは、本当は「民営化するかどうか」の議論ではなく「クロネコも佐川も日本全国で毎日動いている時代に、本当に郵便局は必要なのか?」という「廃止による効率化の議論」をするべきだったのではないかと思います。これも大きな自己否定を必要とします。

実は国民にとって郵便局の民営化など、どうでも良い問題(問題と認識していない問題)だったのではないかとも思います。それが辣腕首相の「改革論」によって、ある日突然問題視されるようになったというのが真実ではないか?

さて、これまでのコンサル経験から、自己否定が自分で出来ない時に何が必要かというと「改革そのものを利害関係のない第三者に行わせる」という発想だと思います。

政治問題も原発問題も抜本的には自己否定が求められる。その場合、例えば東電は問題を残したまま解体する。そして別のプロ集団(例えば他の電力会社)が問題解決に当たる。政治の世界で難しいのはそのような第三者がいないことです。利害関係が働く限り、本当に改革的なことは無理です。

ただ東電の動きを見ていて評価出来るのはアレヴァ社に原発処理の問題を依頼したことです。これは一種の進化だと思います。

それまですべて自前主義でやっていて、どうしても上手く出来ないと悟ったから第三者に解決を求めた。これは自己否定の一形態にほかなりません。自分たちには出来ないと認めることは「謙虚さ」の顕れとも言えます。つまるところ経営者の謙虚さが意思決定の方向性と実施のスピードを早めると思います。自らの限界を素直に認め、他人に解決を乞うというのは実に誠実な態度ではないかと考えています。

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