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人生のハンドルを握る話

配信日:2012年12月19日

今年、最後のメルマガです。
忘年会シーズンですね。今年も、もうすぐ終わりです。先日、15年来の友人2人と忘年会をしました。どちらも昔から度々食事をしながら情報交換をしつつ、また仕事の相談もしてきた仲間です。

ひょんなことから健康の話になりました。友人の一人は47歳。もう一人は39歳です。私もそうですが、42歳の厄年で大きな病気をすると、それまで遠くに感じていた「死」を比較的、身近というか現実的に感じるようになるものです。そんなことから47歳の友人がある告白をしました。

「実は6年前、悪性リンパ腫、つまり末期癌だと宣告された」と。41歳の時です。私たちは2人とも全然知りませんでした。聞けば「話せないよ、こういうことは」と言われました。確かにそうかもしれません。そういう点では今はもう時効だし、また私たちが聴くべき時期に来たのかもしれません。

この友人は本当に他人思いで誰からも信頼されるような人物なのですが、それが昂じてある時、知り合いからお願いをされます。「父親の健康が思わしくない。多分、癌じゃないかと思うのだが、頑固でどうしても病院にいかない。Mさん(友人)、オヤジに健康診断を受けるように説得してくれないか」そこで友人は「僕も一緒に健康診断を受けるから病院に行きましょう」とオヤジを説得。オヤジもちゃんと検診を受けました。2週間後、病院で結果を聞きました。「Mさん、残念ですが悪性リンパ腫。末期癌です」ああ、やっぱりそうでしたか、では僕からオヤジさんに伝えておきます、と言った時、「オヤジさんもそうですが、これはあなたの結果です」

悪い冗談のようですが、こういうことで医者は冗談を言ったりしません。2人とも同じ悪性リンパ腫だったのです。目の前が真っ暗になりました。「ふたりとも、もって年内だと思われます」と。

しばらくは呆然として何も考えられなかったと言います。どんな本を調べても、読んでも、読んでも「悪性リンパ腫は治らない」としか出ていない・・・。やがて欝のような気分になっていったと言いました。しかし冷静な一面もありました。「親よりも先に死ぬなんて」「会社の人たちをどうしよう。路頭に迷わせるわけにもいかない」・・・。経営者として会社のスタッフに本当のことを打ち明けました。「実は病気が発覚した。会社の帳簿も銀行通帳も僕の保険も、実印もパソコンのキーワードもすべてここに揃えた。後はみんなで今後、どうするかを考えてくれ」親には結局、何も言えなかったと言いました。「自分が死を宣告されたなんて、どんな言葉も見つからなかった」

仕事も断りました。特に健康や精神面に悪い仕事はすべて断りました。食事も見直しました。酒もやめました。事実、この日も友人は「車で来たから」と言ってお酒を飲みませんでしたが、それにはこんな生活習慣を変えた結果があったのでしょう。思い出してみるとここ数年、食事をしても彼がお酒を飲むところを見ていません。「身体に悪いものは摂取しない」と。逆に身体にいいと思われることは、すべてするようにしました。どこそこの整体がいいと聞けばそこに駆けつけ、あそこの温泉がいいと聞けば湯治を試み、ここの健康食品がいいと聞けば取り寄せ・・・とにかく必死で治すことに専念しました。

友人は話していませんでしたが、多分、スピリチュアルな分野の勉強も相当したと思います。人間はなぜ生まれてきて死ぬのか。なぜ転生を繰り返すのか。なぜ人と出会い学ぶのか・・・。それは話していればわかりました。

一方、一緒に健康診断を受けたオヤジは都内でも屈指の病院に入院しました。そして毎日、そこで治療を受けていました。友人はそんなお金もなかったし、自分でとにかく必死で治そうとしていました。

エンディングノートも付けるようにもなりました。人生の総決算をする自分のレビュー帳です。これまでやり残したこと。もしもっと生きることが出来れば必ずやること・・・。そんなことを見つめながら必死で治療を続けました。

やがて検診を受けるたびに病院の先生から言われるようになりました。「あれ、おかしいな。数字がものすごく良くなっているよ」癌がなくなってきていました。そして2年後。友人の癌はすっかりなくなり今でも元気で仕事をしています。一方、オヤジさんは残念ながら亡くなったと聞きました。

同じ日に同じように末期癌を宣告されたのに、友人とオヤジさんの運命を分けたものは何か?友人は次のように話してくれました。「僕は本当に必死に治そうと何でもやった。もともと子供の頃から身体が弱くて喘息やアトピーで入退院を繰り返していたから病気との付き合い方も知っていた。でも癌は死ぬ病気だ。親よりも先に死ぬわけにいかないと思った。なんでもやったよ。オヤジさんは多分、誰かが治してくれるだろうと思っていたのかもしれない。高いお金を払って入院して高い治療を受けていれば治ると思ったのではないかな。僕は人生のハンドルを自分で握って、あそこに温泉があれば直ぐによって、こっちに整体があればその場でノックを繰り返した。オヤジさんはそういう人生のハンドルを誰か自分以外に握ってもらうことをしたのではないか」

私たちはこの話を聞いて唸りました。自分が人生のハンドルを握る。当たり前のように感じますが本当にそれを私たちは出来ているだろうか?末期癌を宣告されてもなお、自分でハンドルを握れるだろうか。しかも希望を忘れないで。

自分の人生のハンドルを握る。主体的に生きるというのは、例えば末期癌だと宣告されて初めて出来ることかもしれないとすら思いました。死を意識した時から生は始まるのかもしれません。

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