編集長と話しながら、独り考えていました。
配信日:2021年8月11日
先日、ある大手出版社の編集長が、コロナ禍になってから専門的な書籍が売れなくなったと話していました。「在宅勤務が当たり前になり、ビジネスマンが勉強しなくなっているのではないか」。特に2000円、3000円という高額な書籍はほんとうにダメで、「これらは、もはやアートの一種です」と苦笑していらっしゃいました。アート。つまり実用で必要なものではなく趣味として楽しむものという意味です。それまで専門的な書籍は仕事で活かす目的で買われていましたが、勉強しなくなった今、それらを買うのは「仕事とは関係なく学びたいから学ぶ(趣味)人」というわけです。そりゃ、市場も縮小するというものです。
話を聞きながら、僕は絵画のことを思い出していました。19世紀。写真が出てきて、それまでの肖像画は廃れていきました。人物像を情報として記録するなら写真で撮ればそれでよく、手間と時間のかかる肖像画は文字通り不要になった。まさしく「勉強」という手間のかかることをする人が減り、専門書も不要になっているのと符合します。一方で肖像画はアートとして残ることになります。情報を伝える・残すという機能よりも趣味として楽しむ、手元に置いておくものになりました。そして何より値段が上がった。機能性を売っているうちは価格競争に晒され「早い・安い・上手い」を求められたけれど、写真というイノベーションに駆逐された途端に競争は沈静化し、作家ブランドが登場するようになった。パリにオランジェリー美術館という、小さいけれど素敵なミュゼがあります。巨大な「モネの睡蓮」が飾られていることで有名ですが、その地下階に行くと印象派の作家による肖像画のコレクションが大量にあります。パトロンはそれを画家に描かせ、画商はそれをコレクションした歴史が見られます。
書籍もこんなふうになるだろうか。それはなんともわからない。しかし僕の場合は「気に入った書籍」であれば仮にAmazon kindleで読んでいても紙媒体の本を買うし、それを何度も読むのは一種の趣味にもなっているように感じます。そして気に入った著者ならフォローして新作が出るたびにチェックするようにします。これはもはやアートそのものではないかと、編集長と話しながら、独り考えていました。
今後、デジタル化やイノベーションが進むことで、書籍に限らずアートになるものは多いでしょうね。例えばEVが主流になるとガソリンで走るエンジン車はアートになるかもしれない。同様に自動運転車が主流になっていくと「ドライビングを楽しむ」という価値は趣味化・アート化するように思います。ランニングという行為もかつては移動のためだったけれど、いまでは健康のためや楽しむために行われます。これは趣味といえる。まだまだあります。デジタル音楽配信とレコード、スーパーの総菜と手間ひまを掛けた家庭料理、コンビニコーヒーと自分で淹れるBean to cup。広告だって手頃で簡単なSNS広告が主流になるにつれて高額で手の込んだTV広告はもはやアートだと言える。こうやって見ると生活のなかでアート化したものは意外と多いかもしれません。いまビジネスマンの勉強もその域に近づいてきているのでしょうか。