正月に桶狭間に行ってきました
配信日:2023年1月4日
正月に帰省した折、桶狭間古戦場公園に行ってきました。NHKの番組で紹介されていたのがきっかけです。名鉄金山駅から急行と各駅を使って15分。有松という駅から3キロくらいのところに今川義元が討たれた場所、桶狭間古戦場公園があります。元旦で人はまばらでしたが、それでも何組かの家族連れがいて歴史探索をしていました。この公園の面白さは桶狭間の合戦をジオラマ化した施設になっていることです。ここでは合戦当日、義元がどのように過ごしていたか、信長がどのように行動したかが歩きながら理解できます。それに自分自身が有松から公園までの丘陵地帯(地形)を感じつつ当時を想うのはなかなか面白く「これぞ肌で学ぶことだ」と感じました。
桶狭間の戦いは義経の鵯越と同じく奇襲作戦の代表的ケーススタディとなっています。戦前は軍人たちも研究したし、戦後は経営者やビジネスパーソンも研究してきたはずです。桶狭間でのそれをあらためて挙げるならば「戦略のポイントの一つは相手の兵力や強みを無力化してしまう戦場を選ぶこと」でしょう。事業戦略やマーケティングでいえば「優位性のあるマーケット・セグメンテーション」に通じる概念ですね。上位ブランドが戦線を拡げたマーケティングをしているなら尚更です。競合の強みに潜む弱みに狙いを定め、同時に自らの強みに立脚した細分化を行う。そして競合の3倍以上のマーケティング投資をする発想です。
古戦場公園で紹介されている解説によれば、義元の兵力は2万5,000人。信長軍は3,000人。実に10倍の開きがある。しかし桶狭間のような丘陵地帯の一本道では義元軍は縦一列に進まねばならない。この状況ではまず団体戦を行うことは不可能です。ましてや休憩中に酒盛りをして油断しているところを大雨が降り、しかも雷まで落ち、兵が大混乱しているなどという状態です。総勢3,000人で義元一人を狙うのなら十分でしょう。しかし信長にしてみたらこれも一か八かの決断だったに違いないのです。神仏を恐れないはずの信長が、桶狭間に行く前に熱田神宮で戦勝を祈願した。彼がいかに命がけだったかを示していると思います。
僕が思うに、信長のすごいところは桶狭間の成功体験があったにもかかわらず、以降、一度も同じ手を使わなかったことでしょうね。ビジネスではよくあるとことですが、大きな成功体験をすると「その後もたびたび同じ手を使う」。発想が固定化するのですね。これは僕たちも戒めとしてこころに留めたい。同じ手を2回、3回と使うと、そこから競合に「あの企業はこういう行動をする」と先読みをされてしまう。信長はそのリスクを知っていたのではないかな。おそらく武田にしても朝倉にしても、または石山本願寺にしても毛利にしても、信長の戦略研究をしっかりしているに違いなかった。そこで信長はその前提で新戦略を立てたに違いない。相手の想像を超える打ち手こそ信長の真骨頂だったと言えます。