企業倫理、ブランド倫理を整理してみた
配信日:2023年8月17日
ビッグモーターの事件はあらためて企業倫理について考えさせられるものでした。ブランド・マネジメントの用語ではブランド倫理とも言います。説明するなら「ブランド価値を高めるために行った施策が、意図せず道徳的に反しないか」。つまり世の中の倫理基準に照らし合わせてOKかそうじゃないかを判断することです。ありていに言うと「正しいことをしているか」ということになります。むろん、ビッグモーターのケースは意図的に正しくないことを、おそらく経営者自身も認識していてやったでしょうから、ここで論じるまでもないことです。ここで僕たちが考えるべきは、あのような悪辣な話ではなく「良かれと思って行ったことが社会的倫理にそぐわない」ケースです。
難しいのは「倫理というのは変化する」性質を持っていることでしょう。例えば企業内のパワハラ的行為であっても、正直、10年ほど前は今ほど問題にはならなかった記憶です。25年ほど前、(もう亡くなってしまいましたが)当時の鬼上司には、いまでもシゴいてくれて鍛えてくれたことをとても感謝しています。しかしいまであればパワハラと言われても仕方ないものだったでしょう。
そこで「倫理」というものをもう一段階、分解して考えてみました。おそらく倫理には3つのレイヤーがあります。「普遍的な倫理」「時代や社会の価値観に応じて変化する倫理」「その企業が個別で決める倫理(良き行動規範)」。普遍的な倫理とは、例えば暴力や粉飾・ウソのように、時代がどうなろうと社会が許されない倫理です。(ビッグモーターはこの基本的な倫理のない経営者によって今の事態にある)。2つ目の「時代や社会によって変わる倫理」が難しいところです。上記、僕の話であれば「当時はOKだった部下の指導がいまではアウトになる」ケースです。このような話はたくさん「善良と思われる企業ブランド」にもあります。例えばスポーツブランドが発展途上国の安い労働力を「搾取して」製品を作っている、またはテレビの暴力的シーンがSNSで炎上したなどでしょうか。最近の二酸化炭素排出量の問題なども時代や社会によって変わる倫理の一端だと思います。
そして最後の「企業が個別で決める倫理」。これは文字通りのもので、例えばグーグルの行動規範であるDon’t be evil(邪悪になるな)は最も有名なものでしょう。これは実にマトを得た言葉だと思います。どんなビジネスにも当てはまる守備範囲の広い言葉で、日本語で言えば「お天道様に恥ずかしくないのか」に通じる。それほど広い言葉ではないにしても、僕が昔、アブソルート・ウォッカを担当していた時、ブランド・ガイドブックには「スポーツイベントに協賛してはならない」と書いてあった憶えです。その理由は「お酒を飲んでスポーツをすると命を危険に晒す恐れがあるから」でした。一方、世の中にはスポーツイベントに協賛する酒類企業もあるわけで、ここに個別的な倫理(自発的な倫理)の存在を見ます。これは最もマネジメントしやすい倫理だと言えます。
いずれにせよ、二つ目の倫理(時代や社会の変化によって変わるもの)の取扱いが最も難しいでしょうね。なぜなら個々の特有の問題は結局、個々の解釈に帰ることになるからです。仮にチェックリストを作っても追いつけるかどうか。さもなければ内部告発にゆだねられるか。それはそれで企業ブランドを毀損することになる。結局、好ましいのは経営者や経営層自身がそういう感覚をしっかり意識して努力することですね。せっかく価値を高める目的でブランド・マネジメントしているのに、それが逆効果にならないよう「正しいことをしている」と時代や社会の視点から自信をもって進めるかどうかです。