コーポレイト・ガバナンスについて
配信日:2023年11月22日
オープンAIのサム・アルトマンCEOの解任劇が世間を騒がせています。「米オープンAIの社員らは20日、取締役会(理事会)に総退陣を求め、解任したサム・アルトマン氏らを復帰させなければ、自分たちもそろって退社すると迫る文書を提出した。770人いる社員のうち、すでに9割超にあたる約730人が署名した。人工知能(AI)の有望企業をめぐる混乱は社員の「反乱」という重大な局面に発展しはじめた(日経新聞11月21日)」。コーポレイト・ガバナンスの最新事例のような記事で、僕も興味深く見ています。今回は「従業員」というステークホルダーが取締役会の決定に反旗を翻している。同時に(記事にはありませんが)オープンAIのガバナンスが脆弱であることも露呈したようです。今回はコーポレイト・ガバナンスについて考えてみましょう。企業ブランドのあり方にも通じるテーマかと思います。
コーポレイト・ガバナンスは「企業統治」と訳されます。しかし今回の事件を見るとGovernanceを「自治」と訳すほうが適切かと思います。では「統治」のニュアンスでは何かというと、イメージしやすいのはGovernment(政府)でしょう。国にしろ、企業にしろ、Governmentはトップが下々の者を統治しているイメージがある。一方、「自治」は各人が自律的に秩序を保つイメージがあります。つまり「統治」と「自治」は対義語で、今回のオープンAIの騒動は「統治の取締役会」と「自治の従業員」の認識の違いが見られるようにも思います。
従業員主体を賛美するつもりはありませんが、「自治」は持続可能性という概念にもつながりやすいように思います。言うまでもなく「サステナビリティ」は経営にも求められる。むしろ「そのためにコーポレイト・ガバナンスはある」とも言える。経営者や執行役員は一時的にしかその役職にいないことが前提です。彼らが優れている時は会社も上手く行くが退任してしまったり、よからぬ統治者や経営者が外部からやってきたりすると「持続可能性が損なわれる」。これが「統治」の限界でしょうね。一方でそのような不確実性にバランシングをかけるのが「自治」という概念でしょう。「良い自治状態」は経営者の属人性に振り回されず、むしろ悪いものをデトックスして良い状態に戻す力学がある。ここにも今回の事件の一端が垣間見られるようです。(本来この機能は監査役や、執行役員に対する取締役・社外取締役に求められる)
よく言われることですが、やはり「ステークホルダーとの対話・情報開示」が大事ですね。それこそがコーポレイト・ガバナンスの要(かなめ)ではないでしょうか。アルトマン氏解任に加担したチーフサイエンティストのイリヤ・サツキバー氏は次のように述べています。「取締役会(理事会)の行動に加わったことを深く後悔している。 オープンAIに危害を加えるつもりはまったくなかった。会社を再統合するためにできる限りのことをするつもりだ(日経新聞11月21日)」。おそらく今回の解任に関して従業員との対話もあまりなかったのだろうと思います。一方で「どこまで聞き受け入れるか」の問題もあるのも事実でしょう。組織のリーダーシップや経営体制に対する懸念。ただ、このような組織内の対立や意思決定プロセスに変化があるのは事実で今後のコーポレイト・ガバナンスがどうなるかは興味深いところです。