自らを知るのは怖いことでもある。
配信日:2022年11月22日
僕たちのコンサルティングでは、クライアントさんを相対性の世界に引き戻し、そこから事業戦略を練り上げることをしています。簡単に言うと自らの強みと弱みを知り、競合の強みと弱みを知り、顧客の満たされているものと満たされていないものを知ったうえで「将来の打ち手」をアドバイスしています。相対性と言ったのは「自らを知る」には「鏡」が必要だからです。競合や顧客は己(おのれ)をあぶり出すモノサシです。これがないのを絶対性の世界と言います。よく企業では、「私たちはどうあるべきか」「やりたいことをやれ」と言いますが、これは乱暴な自己肯定を生む上に、スタッフの戦略構築は遅々として進みません。それほどビジョナリーな人材がいるわけでもなければ、「どうあるべきか」の根拠もない。そういう人材が「やりたいことをやる」としたら相当、危険な状況です。それにそういう会社では悪しき観念主義がはびこるだけでしょう。企業を苦境に立たせる原因にもなります。
意味のある情報を入手できているかも重要です。当然ですが、それなりの費用と労力がかかります。どれほど世の中がネット社会になって情報が安くなったと言っても、自社の戦略構築に役立つような「スペシフィックな情報」はそうそう安く手に入るものではない。しかしそのように入手した情報はそれ以上の価値があるものです。情報というのは「その場にいなくても何が起きているかをイメージとして捉えるツール」だと思うので、時間的・空間的な認識力を超えて多くを教えてくれる。しかも、繰り返しますが、相対的な情報であればあるほど価値がある。
自らを相対化して知ることがなければ、長い目で見て事業やブランドは滅びるとすら思います。ただ自らを知ることは怖いことでもあります。なぜなら「弱い自分」や「いたらない自分」を見せつけられる可能性があるからです。それは苦痛だし、ましてや社内でそれを共有することはあまり楽しい話でもない。だから「知りたいけど知りたくない情報」なのです。なので、僕たちもクライアントさんと話す時はそれを充分にケアして、「相対的な強み」「魅力」を中心に話します。同時に「弱みや課題」は静かにやんわりと、怖くないように話します。
担当者が感じるこの「怖さ」、おそらくこれがPDCAを廻せない、または検証を「やりたがらない」原因だろうと思います。スキルのなさや煩雑さ以上に気持ちの問題でしょうね。上司からやれと言われるので検証もやるけれど、どこかさらっと終わらせたい気分を感じます。しかしその気分から「絶対の世界」に逃げ込む動機が生れる。根拠のない自信や楽観視は、結局、自らを相対性のなかで知ることを嫌がっているからです。ちょうど日中戦争から太平洋戦争に至る日本の参謀本部がそうだったでしょう。都合の良い情報ばかりを信じて、そうでないものは隠ぺいするか破り捨てた。相対性で自らを評価することを嫌がった。士官学校を出た頭のいいエリートたちがそうした。長い目で見て滅びると書いたのは歴史が示していることでもあるからです。企業で言えば、結局は、頭の良し悪しよりも担当マーケターがリアリストかどうかの問題かもしれません。リアリストであれば、相対性のなかで自らを知り顧客や競合を知るし、そうでなければ観念主義に陥って自滅する。この対価は高くつきます。