組織文化は変えられるか?
配信日:2018年09月27日
組織を変えていく難しさは、変えていく本人たちがその組織文化に属していることにあります。まるで金魚鉢の水が濁っていても、そこに住む金魚にとっては濁り具合がわからないようなものです。濁った水を前提に組織構造や制度を変えても、それは水槽の中の飾りや模型を変えるようなもの。また外部から新しい人材を採用しても、「この水は嫌だ」となるか、やがて濁った水に慣れてしまいます。そうなっては何の意味もない。
組織を変えていきたいという経営者の想いは、まさしく濁った水を入れ替えたいということです。そもそも何が「濁った状態」なのか。これは経営者が何を問題視するかという定義の問題です。組織で働く人たちにしたら清らかな水も、変革したいという経営者にしたら濁った水となります。例えば次のようなものは変革を邪魔する代表的な組織文化かもしれません。
- 内向きな企業文化:社外に興味がない
- 官僚主義:上層部やエリートの思い上がり、うぬぼれ、形式重視
- 社内派閥:山猿のボスたちが次の覇権をめぐり対立
- 相互信頼の欠如:能力および人間性に問題のある社内メンバーの存在
- 不活発なチームワーク:情報共有・協力の不十分さ、セクショナリズム
- 社内外に対する傲慢さ:ひとの話に耳を傾けない、尊大な態度や考え、謙虚さの欠如
- 中間管理職のリーダーシップの欠如:中間管理職がトンネル業者、仕事をしない
- 不確実に対する恐れ:失敗を許さない風潮
- その他:(あなたの思い当たるもの)
これらは組織「文化」と言われるだけあって、いつの間にか理由もなく存在し続けるようになります。こんな実験があります。5匹の猿を檻にいれます。檻の天井には旨そうなバナナが一本ぶら下がっています。みんなが食べたそうにしています。しかし、ここにルールがあります。バナナを取った猿以外、他の4匹の猿にホースで放水するのです。逃げまとう猿たち。そして放水を止めると、また別の猿がバナナを取りに行きました。そして他の4匹に放水。再び、逃げまとう猿たち。これを何回も繰り返したら、猿たちは「バナナを取れなかった猿は放水される」ことを学びました。同時に猿たちは「その原因がバナナを取りに行った猿にある」ことも学びました。
ここから実験は本格化します。猿を1匹、檻の外にだして新参者の猿を1匹、檻に入れます。新参猿はさっそくバナナを取りに行きますが、他の4匹がその猿を慌てて阻止しました。幸い水をかけられることはありませんでした。その代わり新参猿は他の4匹からいじめられました。新参猿は「バナナを取りに行くといじめられる」と学びました。
次に新参猿以外の猿を1匹、外にだし新しい新参猿を1匹いれました。この猿もバナナを取りにいきました。放水の恐怖を知る3匹といじめの恐怖を知る最初の新参猿はそれを阻止しいじめるようになりました。さらに古参猿を1匹だし第三の新参を入れ・・・同じことを古参猿がいなくなるまで繰り返しました。いまや放水の恐怖を知る猿は一匹もいませんが、誰もバナナを取りに行くことはしません。「バナナを取りに行くといじめられる」がこの檻の文化(不文律)になりました。なぜそうなのかは誰も知りません。
皮肉なのは、そうした濁った水は、ある人たちにとっては快適な文化だということです。それが経営幹部や、または組織のマジョリティを占めるようだと組織を変えていくのは非常に難しい。経営者が頭を痛めるのもここです(特に二代目経営者と父親が雇った古参の幹部によくある関係)。また若くて有望な人材が、そのような組織に幻滅し見切りをつけて転職してしまうのも、会社にとっては損失と言えるでしょう。