キャリアパスというものを考える機会でもありました

配信日:2019年3月20日

友人のマーケターがブランド、プロダクト・マーケティングの部署からオウンド・チャネル(自社チャネル)を立ち上げる新規プロジェクト専任に異動になりました。「時代だなぁ」と思います。これからは彼のいるメーカーであっても、卸や小売りという中間流通を通さず、消費者とマス・レベルでダイレクトに繋がる時代だと思います。オウンド・チャネルを持つことも必然です。いまはそういう物流のアウトソーシングの会社もあるし、既存の商流のしがらみや何かも、ちょっと考えれば抜け道をいくつでも作れるものです。

このような仕事に就いて友人はどう思っているか?彼は製品開発のスペシャリストだし、典型的なマス・マーケターでもあります。今回異動した先のプロジェクトは専門外で、不安も多いのではないかと思うと、そうでもないのです。むしろ「どうなるだろうか」と楽しんでいるように見えます。得てして仕事の出来る人というのはそういうものだと思います。しかしプロジェクトというのはスケジュール通り進まないものですから、その前提で楽しんで頂ければと思います。

キャリアパスというものを考える機会でもありました。今回の異動は彼にとっては未来のマーケティングキャリアへの導きだったと思いますが、そうでないケースも世の中には多いものです。ビジネス・パーソンは一体、どれくらい主体的にキャリアを考えているのか。僕自身、転職の時にヘッドハンターにキャリアの相談をすることはあっても、長期的なキャリア戦略の相談となるとあまり記憶にない。ましてや今のようにヘッドハンターや人材紹介会社のサービスがSNSのLinkedIn(リンクトイン)に取って替わるようになると、もはや自分一人でキャリア戦略を考えねばならない。(日本ではまだまだだけれども世界的にはヘッドハンターや人材紹介会社はLinkedInによって不要な存在になりつつある。)

今考えれば、僕がサラリーマンをしていた時も、もっと誰かに相談していたら別のキャリアがあったかもしれないと、いまさらながらに思うことがある。フランス系の洋酒会社を辞める時、何故、転職というオプションの他に、フランス本社のインターナショナル・マネージャ―のポジションへの異動を望まなかったのか。海外を飛び回る仕事、フライング・ダッチマンならぬフライング・ジャパニーズです。独立してからしばらくして、三井物産で海外勤務の経験を積んだメンターと知り合い、彼の経歴やその後の成功を垣間見ると、なぜそのようなことを考えなかったのかと、当時の自分の視野の狭さがイヤになります。そうなっていたら僕のキャリアも人生、ライフスタイルもいまとは全く違うものになっていたでしょう。当時はまだ30代でしたし、リオデジャネイロあたりで楽しくやっていたと思います。笑

しかし当時はそんなこと考えもしなかったというのが本当のところ。なんともったいない。正直、目の前のことだけで精一杯でした。とにかく35歳までにマーケティング・ダイレクター(CMO)になろうということしか考えていなかった。そして45歳までに外資の日本支社長になるのだと固く信じていました。しかし今思うと、そんなものにどれほどの価値があったのか?その後、僕は33歳でハーシージャパンという会社のマーケティング・ダイレクターになるのだけれど、ダイレクターの仕事のなんとつまらないことか。事実、身をもって理解しました。まるで草野球の「球場取り」のような仕事。それで楽しそうに試合をするのは部下のブランド・マネージャーです。笑

もし身近に海外勤務のキャリアを生きている人がいたら、インターナショナル・マネージャ―で成功するキャリアのケース・スタディがあったら、僕の選択肢も広がっていたかもしれません。当時はそのようなひともいませんでした。ましてや僕自身は意固地で妙に自信のあるタイプでしたから、ひとに相談するだとか、ひとの意見を聞くだとか苦手だったと思います。なんでも自分の価値観や知っていることをベースにすると、長い目で見て損をするということでしょう。外の世界に目を向けないと井の中の蛙になるということでしょう。そんなことをいまさらながらに後悔しているわけです。

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